やりたいことはなんですか? 「人殺しです」 飽き飽きだ。 なにもかもに飽きた。 思いつく限り、やりたいことは全て試してきた。 勉強、スポーツ、音楽、バイト、酒、煙草、女、暴力、麻薬。 好奇心が刺激されたもの全てに熱中した。けれど、長く執着できたことは一度もなかった。三ヶ月、半年、一年、一年半。 ……いや、たったひとつだけ、十七年も続けていることがある。 生きること。望む望まぬに拘わらず、こんなにも長い間続けている。でもそれは既に―― 惰性。 この言葉が最も相応しい。内側から沸き起こる渇望、衝動ではなく、繰り替えし続けてきたことを身体が覚えてしまったに過ぎない。 自分が、哀れでならなかった。 丸くなったと誰からも言われる。大人になった、落ち着きを持った、成長した、学習した、社会を知った……笑顔で、真顔で言われる度、頭に血が昇る。 おれは、枯れてしまった。情熱を、熱情を、熱狂を、狂乱を、好奇心を、渇望を、衝動を、何事にも見出すことが出来なくなってしまった。生きてゆくことそのものが惰性。 ならばいっそ死ぬか? 何度考えたかわからない。やり残したことはない。未練もない。恨みもない。悔いもない。夢も希望も将来も目標もない。ならば、死ぬか。 どう死のう。 不意にやりたいことが浮かんだのは、高校のクラス担任との個人面談で卒業後の進路を問われた時だった。 指先でペンを弄び、名簿に目を落としたまま頭頂部の毛髪に翳りのある担任教師は言った。 「谷島君が将来やりたいことはなんですか?」 ないです、と口に仕掛けたところで、天からの啓示のように脳に刻まれた言葉。 「――人殺しです」 担任の動きが止まった。おれの写真が貼られた名簿から顔を上げ、こちらを訝しげな目つきで睨む。 午後の斜陽が、ブラインドの隙間からうっすらと差し込んでいる。季節は秋口。先程まで開いていた窓は、風が冷たいという担任の個人的な理由によって閉ざされている。ここ進路指導室の蛍光灯は全部で四つあるが、うち一つは二本ある内の片方が切れていた。もう数ヶ月取り替えられていない。遠く、生徒たちの声が聞こえてくる。放課後という時間帯、残っている生徒は少なくない。偏差値が低い変わりに運動系の部活動が盛んな為だ。 「今、なんて言いましたか?」 担任の田村は饅頭みたいな顔をしている。身体も腹がこんもり出っ張っているため、遠目には愛嬌があると言えなくもなかった。中身は、まるで愛嬌の欠片もないが。 耳の悪い、もとい、頭の悪い田村の為に、おれは明瞭な声で繰り返した。 「人殺しがしたいです」 返ってきたのは、深い溜息だった。右手のペンでこめかみの辺りを掻き、なんとも言えない視線でおれを睨め付ける。田村は、名簿を閉じた。 「度し難い馬鹿、ですね」 「センセイがですか?」 騒音が弾ける。田村が、肉厚な掌で机を叩いたからだ。 「ふざけるのもいい加減にしなさい、谷島君。好き勝手言っていられるのも今の内だけですよ。後一年半もすれば君は高校を卒業しなければならない。進学が決まっていれば高校生気分のまま粋がってもいられるでしょう。ですがウチの高校から大学進学なんてほとんど考えられない。スポーツ推薦以外ではね。でも君は部活動も辞めてしまった。なんの取り柄もない人間なんですよ? 君に進学の口なんてない。じゃあ就職しかない。でもこのご時世、高卒の馬鹿なガキに就職先なんてあると思いますか? そう、あるわけがない。じゃあ君はもう親の脛をかじって骨までしゃぶりつくすまでフリーターなんて社会の最底辺の人種に成り下がるしかないわけですよ」 言葉を切った田村は、鼻の穴を大きく広げて息を吸い込んだ。上体が反るほどに深呼吸をし、再び口を開こうとする。おれは、遮った。 まず、田村の手からペンを奪った。反応が遅れて動きが止まった田村の眼球へ、おれはペンを突き刺した。 思ったより、深く刺さらない。 静寂が訪れた。そして一瞬で去った。 絶叫を噴きだそうと大きく開かれた田村の口に、手近にあった辞書をぶちこむ。勢いに負け、田村は椅子毎後ろへ転倒した。廊下を歩く人がいればまず間違いなく異変に気付く音量だったが、おれは気にせず机を乗り越えて、素早く田村に近付いた。田村は辞書を吐き出したところで、また絶叫を上げようとするので今度は辞書の代わりに靴底をお見舞いして差し上げる。歯をへし折る感触を、おれは人生で初めて経験した。 声は出なくとも息は洩れる。ひゅーひゅーと哀れなほど惨めに藻掻き苦しむ田村の様を見ておれは同情でもしたのか、ひと思いに楽にしてやることを思いついた。 田村が重いのは一目でわかるが、力には多少自信があった。机を部屋の隅まで動かしてスペースを作ると、暴れ回る田村の両足をそれぞれの脇に抱え、ジャイアントスイングを始めた。 充分な勢いが付いたところで、 「せーっのぉ!」 鍵の掛けられた窓目掛けて田村を放り投げた。 陶酔したくなるような、鮮やかな硝子の破砕音。録音しなかったことを、どれほど後悔したか。 地上十数メートルの空を舞う肥満中年というのは全く絵になるものではなかったが、非現実の観点から捉えればそれなりに前衛的だったかもしれない。 尾を引く田村の悲鳴に今生の別れを告げ、おれもまた、新たなる旅路へと足を踏み出す。 その時、誰かが告げた。 「ようこそ、美しい世界へ」 |