*square sky babys* モドル>>___ ツギヘ>>

※ 当作品内における少年法の表現は意図的に曲げたものであり、事実とは異なることを、あらかじめご了承下さい。

 その時の僕はまだ一九で、学校という狭い世界しか経験したことのない、いわば飼われた鳥のような存在だった。小学校、中学校、高校、大学、このおよそ十三年間で僕が得たものと言えば、掛け替えのない親友が一人と、幼馴染みが三人と、悪友が二人、幾つかのバイトで貯めた十七万の貯金だけだった。逆に、失ったものは数知れない。思考力、想像力、反抗心、未来への希望。直接目には映らない、精神的なものが殆どだ。
 こんなものしか思い浮かばない僕の頭は、壊れているのかもしれない。いつかの昔に壊されたのかもしれなかった。思い当たる節は無いけれど。
 毎日が似たような事の繰り返しだった。日々、何かが微妙に少しずつ変化しているけれど、それは確かなことだけれど、僕の心に届く出来事は全て同じ刺激だった。退屈だった。挫折を知らない僕は努力をしない。執着心の薄い僕には競争心が備わっていない。高校の授業と何ら変わり映えのしない大学の講義は、僕が腐るのに一層の拍車を掛けた。講義のせいではなくとも、講師の責任ではなくとも、僕の心意気ひとつでなんとでも変わるのだとしても、悪いのは僕以外の存在だと思いたかった。思っていた。信じ込んでいた。自分に言い聞かせ、騙していた。
 
 ……そんなような事を書いた僕の日記を偶然目にした親は、泣いた。こんな子に育てた覚えはない、と泣いた。なんでまともに育ってくれなかったの、と泣いた。お母さんはなにも望んではいないのに、と泣いた。お母さんはなにもうるさく言わなかったじゃないあなたの自由にさせてあげたじゃないなにが不満なのどうしてこんなこと書くのなにを考えているのあなたのことがわからないあたしはなんなのなんだったの、と泣いた。
 訳が分からず、母親が何故泣き、何故僕を罵り、何故悲嘆したのかが理解できず、僕は取り合えず母親を殴った。タンスに寄りかかって座りながら本を読んでいた僕を叩き続ける母親を殴った。立ち上がった僕は、倒れた母親を踏み潰すように蹴った。悪意も殺意も敵意もなかったけど、なんとなく蹴り続けた。手加減はしていなかった。
 そうして僕は、家を出た。
 
 家を出た僕は、しばらく近所の公園のベンチでぼうっとしてから、おもむろに家に帰った。手には文庫本一冊、それしか持っていなかったからだ。
 ベンチで呆けている間は解放感に包まれていた。初夏の陽射しがじりじりと肌を焼く感覚が心地よかった。痛みと快感が同時に皮膚を刺激していた。そこに吹き付ける風がまた気持ちよくて、しばらく、と言っても小一時間は経っていたと思う。心は軽かったけど、強い陽射しを長時間浴びることに慣れていない虚弱な身体は火照っていて重く感じた。
 部屋に戻ると、母親がまだ倒れていた。安否の心配より、倒れ伏したまま動かない母親がなにか汚らしいモノに見えて、僕は吐瀉物を避けるように母親を避けて財布と携帯電話と携帯電話の充電器を手にした。ヒエログリフ文字で僕の名前が書かれた飾りの付いたペンダントを首にかけて、充電中だったMDウォークマンと充電器を小さなリュックに入れ、MDのストックからお気に入りの物だけを選んでケースに詰めてリュックにしまう。僕がバイブルとして愛読している文庫本を机の本棚から取り出して、リュックにしまう。父親の形見である高いのか安いのかわからない腕時計を手首に巻く。
 部屋を一通り見回して、他に最低限必要な物が無いことを確認した僕は、母親を一瞥して、家を再び後にした。もう帰ってくることはないだろうな、とかは思わなかった。そういうことは考えなかった。
 
 さて、何処に行こうか。
 友達の所には行きたくなかった。迷惑がかかるかもしれないからだ。特に行きたい場所もなかった。無理矢理何処かに目的地を決める必要はないと思った。
 僕は、今から自由だからだ。
 
スクウェア・スカイ・ベイビーズ
@ 君の帰る場所
 
 あれから数日後、僕は指名手配されていた。母親が死んでいたからだ。家が古いアパートだったので、隣人が母親の泣き叫ぶ声を聞いていたらしい。未成年者である僕の顔が直接テレビに映ることはなかったけれど、外見的特徴と名前、年齢は全国に放送された。僕は売り出し中のアイドルよりも有名になった。ちっとも嬉しくなかったけど、そう考えた瞬間には何故か口元が綻んでいた。
 僕は部屋でテレビを見ていた。部屋と言っても自宅ではなく、僕を拾った女性の部屋だ。青が基調の寒々しい部屋だった。八畳一間、短い廊下にキッチンとトイレ、バスルームが付いている。家賃は聞いていないけど、小綺麗なので新築だと思われた。
 彼女は僕が母親殺しで全国に指名手配されていることを最初は知らなかった。知らないで僕を拾った。彼女はテレビを見ないし新聞は取っていないしラジオも聞かない。キャバクラで働いてると言っていたが、喉が酒焼けしていることしか裏付ける情報がなかった。服装も容姿も地味だからだ。それとも地味なのは家に居る時だけなのだろうか。わからなかった。知る必要もないと思った。知りたいとも思わなかった。だけど僕は自分がどんな人間であるかを彼女に知らせた。迷惑がかかると悪いと思ったからだ。でも彼女は微笑んで言った。私はお父さんを殺しちゃったことあるよ、と。だからおあいこだと。なにがおあいこかわからなかったけど、なんだか共感めいた感情を抱いた僕は、彼女を抱いた。初めてのセックスは、ただ疲れただけだった。
 
 僕が僕の手垢にまみれしかも日焼けしてぼろぼろの本をMDを聴きながら読んでいると、珍しく朝早く起きた彼女は物凄く珍しくカーテンを開けて、寒色ばかりの寂しい部屋に朝日を目一杯取り込ませて、彼女も眩しいくらいに微笑んだ。朝日の眩しさが楽しそうだった。
 その本どうしたの、と訊かれたので、バイブル、と短く答えた。
 誰の本、と訊かれたので、龍、と短く答えた。
 龍? と訊かれたので、村上龍、と答えた。
 なんて本、と訊かれたので、シックスティーナイン、と答えた。
 彼女は一瞬どきりとした表情を見せたけど、あぁ、シックスティーナインね、と頷いた。
「面白いの?」
「楽しい」
「何聴いてるの?」
「BUMP OF CHICKEN」
「良い歌?」
「良い音楽。詞も曲も歌も好き」 
 私本読まないし音楽も聴かないんだよね、淋しい人間だと思わない、などとちょっと目を細めてまなじりを垂らしながら悲しく微笑んで言うので、僕は言葉を失って彼女をただ見つめることしかできなかった。
 彼女は朝ご飯作ろうか、と打って変わって明るい声で、唐突に言った。無理に気遣わせたのが申し訳ないと思った。僕は気の利いた言葉を吐くこともできなければ、優しく抱き寄せて慰めるだけの度胸もなかった。もしかしたらこの時、僕は初めて自分が嫌いになったかもしれない。なんだか切なかった。
 
 指名手配から一ヶ月が過ぎても、僕は逮捕されていなかった。この家に警察が来たこともなかった。アパートの一室に居住者が一人増えたことに、住人は気付いていないのだろうか。多分気付いていないのだろうと思う。
 僕は外に出ないようにしているけど、毎日色んな時間に外出している彼女が言うには、アパートの他の住人と顔を合わせることなんて月に一度あるかないかだそうだ。しかもロクに挨拶も交わさないので、顔なんてまるで覚えてない。若い人ばかりなので尚更なのだそうだ。
 二十世紀末から増加傾向にあった少年犯罪は近頃益々加熱していて、母親一人殴殺した程度の事件は、世間から忘れられつつあるようだった。ニュースで報道されることもすっかりなくなったし、一発屋のアーティストみたいな気分を僕は味わっていた。警察ももう捜査を打ち切っているかもしれない。母親殺しなんて有り触れた事件に割く人員も時間もないだろうし。
 そんな思いから、僕は外に出てみることにした。彼女が一日中カーテンを閉めたがる性格で、日中は家に居ることが比較的多い彼女と一緒にいる僕は、外に出られない状況も相まって日光を浴びることがこの一ヶ月で数えるほどしかなかった。正直、肌をじりじりと焼く夏の陽射しが恋しかった。炎天下で読書する紙一重な快感に浸りたかったのだ。
 携帯電話は持っていくことにした。指名手配後、ひっきりなしにかかってくるのが鬱陶しくて電源を切ったままほったらかしにしていたが、家を空ける以上は万が一の際に彼女からの連絡を受けられる状態にあった方が良いと思ったからだ。
 ひと月振りに電源を入れた携帯電話は、勤労にも早速仕事を始めた。電源を入れて数秒で着信音が鳴ったのだ。驚きのあまり取り落としそうになりながら、ディスプレイで相手を確認すると、親友からだった。
 よう、と言った僕に、馬鹿野郎、と親友は返してきた。嬉しくて涙が出た。家出してから流す、初めての涙だった。
 
「太ったな」
「ちょっとだろ?」
 親友の第一声は酷いものだった。僕は少し傷ついた。二人分の料理を作ることに慣れてない彼女は、いつも誤って多めに作ってしまうのだ。しかも美味しいので僕は全部平らげてしまう。悪循環だった。自分で作ることもあったけど、世辞にも美味しいとは言えない代物が出来た時から僕は料理を放棄した。彼女が料理は好きだと言うので甘えることにしたのだ。
 ベンチがあるだけで遊具がなに一つないにもかかわらず『穂の香公園』なんて大層な名前が付けられている広場で僕等は待ち合わせた。アパートから歩いて三分。親友は車で一時間かけて来た。
 どうだ、と問いかけてくる親友。僕はベンチの上で胡座をかいて、あんまかわんねーよ、と答えた。事実、家出以前となにが変わったわけでもなかった。精々、学校に行かず、友人に会わず、外に出ず、家事を少し手伝っている程度の変化だ。
 親友は、どうすんだよ、と真剣な面持ちで僕を見た。
「なんにも考えてない」
「……今どうしてるんだ?」
「女の人の所に厄介になってる」
「女の人? いくつの、どんな」
「二十四歳。自称キャバクラ嬢。でもその割りには地味でお人好しかな」
「なんでまた」
「拾われた。家出した翌々日に」
「……お前馬鹿か?」
「うるせーよ」
 もっともな感想だった。自分でもつくづく馬鹿だと思う。でも悪いとは思わないし、恥じるつもりもなかった。前からなってみたかったんだ、馬鹿に。恥も外聞もなく、体面も世間体も気にせずにいられる人間に。何が切っ掛けだったか分からないけれど、僕は僕が漠然と望んでいた人物像に近づけていた。
 親友は呆れたように溜息を吐くと、苦笑いめいたものを浮かべた。
 それからの僕等は、しばらくの間無言だった。僕には特に話すことも訊きたいこともなかったけど、どうやら親友はなにかを言い淀んでいる様子だった。すぐに察しがついた。でも僕は自分から話すのが格好悪く思えて黙ることにした。
 親友は二時間もの逡巡の末に、ほんとなのか、と一言ぽつりと呟いた。なにが、と問い返したい気持ちを呑み込んで、僕は首肯した。
 そっか……と微かに声を漏らして、親友は空を仰ぎ見た。膝の上で組んだ指先が戸惑うように動いていた。痛みを堪えているような表情で僕を見る。親友は震えるのを必死に自制している手に携帯電話を持って、僕に差し出した。
「別に自分の使ってもいいけど、さ。自首……しろよ」
「つまんないこと言うなよ」
 本当につまらないことを言われた。幻滅だった。でも心の何処かでは言われるのではないかと予想していたことでもあった。人を殺すということが常軌を逸した行為であることくらい、知識としては知っている。でも実感として罪の意識は欠片も抱いてなかった。
「……おれが通報するっつっても?」
「あぁ」
 僕は微笑んでいた。嫌味か、蔑みか、同情か、自分ではわからないけど。裏切られたという気持ちが僕の中に芽生えていた。でも、そんなものちっちゃいことだ。ちっちゃいことなんだ。
 俯いた親友は携帯電話をポケットに戻し、拳を握りしめた。多分唇も噛み締めているはずだ。涙を堪えていたのかもしれない。溜めた息を大きく吐き出し、まだやや俯いたままの親友が、聞き取れるぎりぎりの声で囁いた。
 なんで……
 『なんで?』なんて一番酷な問いに答えるべき言葉を僕は持ち合わせていない。誰だって持っていない。こんな問いをされる問題に、納得のいく答えなんて有りはしないからだ。
 僕が答えずに沈黙していると、親友は踵を返した。力無い足取りで自分の車を目指す。去っていく親友の背中に向けて、僕はたった一言だけ手向けた。それは無論僕の真意で、嘘偽り無い心からの言葉だった。
 僕がここで死んだって、地球が平和になるわけじゃない。同様に、僕が母親を殺したところで、世界大戦が起きるわけじゃない。踊らされるのにも惑わされるのにも、もう飽き飽きだ。操られるのも騙されるのも、もううんざりだ。
 その結果が今だということに、今更ながら思えた。
 車に乗り込もうとする親友を、おい、と僕は呼び止めた。
「またな、親友!」
 
 あれから三ヶ月。警察は、まだ僕の所に訪れない。
 
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